「けど、どうして舞先輩はあんなに機嫌が悪かったんでしょうね?」
 昼食を取り終え弁当類を片付けている最中、俺は佐祐理さんに相談した。昼食時舞先輩を構わなかったのは悪かったと思う。それは俺の完全な過失なので問題はない。問題なのは、その前の俺の舞先輩に対する呼び方だ。
 他人行儀な呼び方だと舞先輩は語った。しかし例え親密な仲だとしても年上に対してはさん付けするのは礼儀だし、特に他人行雛な呼び方だとも思わない。一体俺の呼び方のどこに問題があったのだろうかと、俺は佐祐理さんに助言を乞うことにした。
「う〜〜ん、そうですねぇ……。それはやはり祐一さんの呼び方が、以前と違かったからではないでしょうか?」
「そうは言いましても舞先輩と会うのは10年振りですし、昔の呼称なんて覚えてないですよ。第一呼称が違うことなんてそんなに問題なことでしょうか?」
「それは大変な問題なんじゃないの? 祐一クン」
「えっ!?」
 突然佐祐理さんが男の子口調で喋り出し、俺は途惑った。いきなり態度を変えるだなんて、俺はそんなに佐祐理さんに失礼な態度を取ったのだろうか?
「あははーっ、どうでしたか祐一さん、今のは?」
「……」
 しかし、次の瞬間にはいつもの口調に戻っていた。一体さっきのは何だったのだろう……?
「祐一さん、先程佐祐理が呼称や態度を変えたことに違和感を抱きませんでしたか?」
「それは抱いたに決まってるじゃないですか! いきなりあんな呼ばれかたしたら普通に驚きますよ!!」
「そうですよね。突然以前と違う呼ばれ方や態度を取られましたなら、誰だって違和感や不快感を抱きますよね?」
「そりゃ、そうでしょ」
「祐一さん、つまり祐一さんに『舞先輩』や『舞さん』と呼ばれた時の舞の気持ちは、今の祐一さんと同質の物ではないかと佐祐理は思います」
「あっ……!!」
 そうか、そういうことか。佐祐理さんは舞の抱いた感情を身をもって理解してもらいたいが為に、態度を一変した演技をしたのか。
「う〜〜ん。確かにそりゃ昨日今日と違う接し方をされたら誰だって困ります。でも、10年も経てば呼称の一つ二つは変わるものですし、それくらいのことは舞先輩だって理解しているはずでしょ?」
 佐祐理さんの言わんとしていることは理解できる。けど、それでも俺は腑に落ちずに、佐祐理さんに問い返した。
 確かに、先程の佐祐理さんのようにいきなり違う態度を取られたら、誰だって違和感や不快感を抱く。しかし、それは時を経ない場合だけで、10年という長い時間が経過すれば違和感を抱かずに、寧ろ時間の経過を感じたりするものなのではないかと。
「ではお訊ねしますけど、仮に祐一さんのご親戚にお子さんがいたとします。その子は祐一さんのことを「お兄ちゃん」と呼んでいました。けど、10年振りにお会いしたその子は祐一さんのことを『おじさん』とお呼びしました。
 もし親戚のお子さんに『お兄ちゃんと』呼ばれていたのが『おじさん』に変わりましたなら、祐一さんはどう思います?」
「うっ、それは嫌に決まってますよ。俺はいつからおじさんになったんだって」
「それと同じことですよ。つまり、舞にとっての『舞先輩』や『舞さん』という呼び方は、『お兄さん』から『おじさん』への呼称の変化のように不快感を抱くものだったということです。
 自分では『お兄ちゃん』のままで時間が止まっていたものの、親戚の子の中では『おじさん』へと時間の流れが変化している。例えおじさんとお呼びしたお子さんに悪気がなかったとしても、呼ばれたほうは客観的に自分の老いを自覚させられることに嫌悪感を抱くものです。
 舞の場合老いを自覚させられたということはないでしょうが、恐らく舞の中の祐一さんは10年前の姿で止まったままなのだと思います。目の前に現れた祐一さんが、自分の心の中に記憶している祐一さんとは違った。それが『舞先輩』や『舞さん』という呼び方として形に表れたから、舞は不快を感じたのではないでしょうか?」
(時間が止まったままねぇ……)
 そこまで言われて、ようやく俺は自分の発言の問題点を自覚した。以前と違う呼称なんて大した問題じゃないと思っていたけど、確かに佐祐理さんの言うように、呼称の変化は呼ばれるほうにとっては大問題だ。
 しかし、それはそれでまた別の問題がある。俺の中では10年前で時間が止まっているどころか、10年前の思い出がないのだから。時間が止まっているだけならまだしも、記憶がないのでは昔のような接し方をすることすら叶わない。
 同じ学び舎に通っているのだからこの先数ヶ月とはいえ舞先輩と顔を合わせることはあるのだし、今のままだとまた先輩に嫌悪感を抱かせてしまう。一体この先舞先輩にどんな接し方をすればいいのだと、俺は答えが見出せずに焦燥感に駆られるばかりだった。
「佐祐理さ〜〜ん。昼食の時も言いましたけど、俺には舞先輩と会ってた記憶がないんですよ〜〜。記憶がないのに昔とおんなじ接し方なんてできやしないです。俺は一体どうしたらいいんです〜〜?」
 自分で考えても答えが見つけられそうになかったので、俺は藁をもすがる思いで佐祐理さんに助けを乞った。
「う〜〜ん、それはやはり祐一さんが昔のことを思い出すのが一番ですが、何も呼称の変化は嫌悪感や不快感を抱かせるだけではなく、時と場合によっては好感を得られることもあります」
「好感を得られる場合といいますと?」
「例えば付き合い始めた頃は互いに苗字で呼ぶ関係だったのが、親しくなっていくうちに互いに名前で呼ぶようになった。この場合の呼称の変化は親密な関係になった上での変化ですから、同じ呼称の変化でもマイナスの印象は与えません。
 ですから、昔のことを思い出すまでの間は、舞が親しみを感じられるような呼び方をすれば大丈夫だと思いますよ」
「うん、分かったよ。ありがとう、お姉ちゃん」
「えっ……!?」
「はは、今のはお返しですよ佐祐理さん。感謝のつもりで親しげのある呼び方をしてみたのですが、どうです?」
「えっ……あの、そのぉ……ど、どうと言われましても……、どう答えたらいいのか……」
 俺が感謝と先程のお返しの気持ちを込めて佐祐理さんをお姉ちゃん呼ばわりしたら、佐祐理さんは態度を急変させて顔を赤らめながら恥ずかしがった。この途惑い振りを見ていると、さっきのお返しは十分果たせたなと、俺は自己満足した。
「なかなかいい感じの反応ですね、佐祐理さん。じゃあこれからは佐祐理さんのことを『お姉ちゃん』って言い続けようかな〜〜?」
「もう〜〜、祐一さんっ、あんまりイタズラが過ぎますと、佐祐理にも考えがありますよ!」
「えっ、考えって!?」
「祐一さんが佐祐理をお姉ちゃん呼ばわりするなら、佐祐理も祐一さんを弟扱いしますよっ! ええ〜〜い!!」
「わぷっ……!?」
 佐祐理さんは俺に近付くと、いきなり俺を胸元に抱え込み、思い切り腕で締め上げてきたのだ。
「ちょっ、佐祐理さん、苦しいですって……」
「あははーーっ! イタズラが過ぎる弟には、お姉ちゃんがお仕置きです〜〜!!」
「分かった! 分かりましたから!! もう悪ふざけはしませんからやめてください!!」
 腕での締め付けは地獄のように苦しいものの、佐祐理さんの柔らかい胸を押し付けられるのは、天国のように心地良い。このまま佐祐理さんのヘルアンドヘブンを喰らい続けたいところだけど、ここは学校だ。こんな所を万が一他生徒に見られたら大問題だ。
 なので本音はこのままの状態を維持したいところだが、世間体を考え俺は佐祐理さんに止めるように言った。
「あははーっ、そんな小さな声は聞こえませんよーー! もっと大きな声で言ってもらわなければ困ります〜〜」
「困りますって、大声で叫んだほうが困った事態になりますよ〜〜!!」
 そんな感じに佐祐理さんとのじゃれあいは数分間続いた。何だかこの一件で佐祐理さんとは本当の姉弟の間柄に近い関係になった気がしてならない……。



第壱拾七話「鋳造の皇女カイザーリン・フォン・グス


「おや? 相沢君に女王陛下マイクイーン。このような所で会うとは奇遇ですね」
 昼食の片付けを終え教室棟に戻ると、偶然生徒会長の久瀬と会った。しかし、マイクイーンって、ひょっとして佐祐理さんのことを言ってるのか!? いやまあ、確かに佐祐理さんは女王のような気高さと美しさを兼ね備えてはいるけど。
 しかし、確か今日の倉田家と久瀬家は対立関係とまではいかないけど、以前よりは仲が悪くなっていると聞く。その仲違いの令嬢に対して親しげな態度を取るというのは、どうにも違和感を抱かざるを得ない。
「あははーーっ、こんにちはです久瀬さん。久瀬さんも今ご昼食を取り終えたところなのでしょうか?」
「はい。そういう倉田さんも?」
「ええ。今まで祐一さんとご一緒に取っていたところです」
「ちょっ、佐祐理さん!」
 さらっと久瀬に対し今まで一緒にいたことをさらけ出してしまう佐祐理さん。俺は嫌な奴に佐祐理さんとの昼食会を知られてしまったことに妙な焦りを抱き、咄嗟に佐祐理さんの口を遮ろうとした。
「ほう、ご一緒に昼食を……。ふふ、倉田さんには後々会わせようと思っていたが、まさか自ら会いに行っていたとは。しかも共に昼食を交える仲にまでなっているとは……。
 いや、素晴らしい、素晴らしいよ相沢君! やはり君は僕が見込んだとおりの人材だ!! 君こそ正に僕の右腕に相応しい。是非とも生徒会に入ってくれたまえ!!」
「いやはは、光栄です……」
 久瀬の過剰過ぎるアピールに、俺は苦笑しながら頷いた。
「ところで久瀬会長。どうして佐祐理さんのことを女王陛下マイクイーンと呼んでいるんです?」
 俺はこれ以上久瀬の勧誘を受けたくないと思い、咄嗟に話題を変えた。
「ああ。君は転校して来たばかりだから知らないだろうね。倉田さんの中学時代の数々の業績を!」
 久瀬の話に寄れば、佐祐理さんは中学時代生徒会長を務め、様々な改革を推し進めて行ったらしい。その方針は感情を一切挟まない客観性と論理性に富んだものだったらしい。
「倉田さんは規律と礼儀を重んじ、厳粛で神聖な校則をより堅強なものへと変えていった。それにより僕や倉田さんが通っていた水瀬中学校は、県内でも有数の規則正しく統率の取れた中学へと変貌していった。
 下らない感情や情を一切挟まずに粛々と改革を推し進めていく姿に尊敬の念が込められ、いつしか倉田さんは“雪の女王クイーン・オブ・スノー”と呼ばれるようになったのだよ!!」
「あ、あはは……」
 まるで演説でもかますかのように高らかと佐祐理さんの武勇伝を語る久瀬。その姿に褒め称えられているはずの佐祐理さんでさえ苦笑いを浮かべていた。
「しかし、悲しいかな。倉田さんの偉大さを理解できない愚民共は後を絶たなかった。しかし、倉田さんはそんな愚民共を次々と粛正していった。特にあの時の生徒総会は凄かったな。あまりに厳しい校則に嫌気が差したクズ生徒が「俺たちに自由をよこせ!」と、あろうことか我らが女王陛下にたてついた時は。
 あの時倉田さんはこう言った!
『自由とは無秩序の荒野に存在するものではなく、秩序ある社会にのみ存在するものだ。そもそも義務教育課程とは単に人生に必要な知識を身に付ける場だけではなく、今後の社会において必要とされる法を遵守する精神を養う場でもある。
 この中学生活において身を持って法を遵守する精神を身に付けておかなければ、その後の社会生活において法を守らぬ粗暴な人間を生み出すことになる。そのような者を我が校から出したとなれば、我が校のみならず全うな生徒の評価さえ落とすこととなる。
 現に市内の東水瀬中学校は数年前まで一部の生徒の暴虐な振る舞いが学校全体の評価まで落とし、その結果清く正しい生徒までもが管内の高校から白い目で見られる事態を招いた。そのように校則を厳格に遵守するように生徒を教育しなければ、結果として多くの生徒の進路を妨げることとなる。
 故に、校則はより厳格なものでなくてはならず、それを一糸乱れぬように守らせる必要がある』
と……!!
 あの時の拳を震わせながら悔しがるゴミ生徒の顔は今でも忘れられませんよ!」
 久瀬の言っていることは正論だ。確かに物事の良し悪しの分別がつかない義務教育時代に法を遵守する心をはぐくむことは大切だ。しかし、何故だろう? どうにも久瀬の言っていることはむず痒く、吐き気がしてならない。
「しかし、高校に進学してからの倉田さんは、どうにも覇気が衰えた気がしてならないですね。ですが、それも仕方のないこと。何せこの水高には應援團という強固な抵抗勢力がいるのですからね!」
 抵抗勢力……!? あの生徒の中でも誰よりも学校を愛して止まなく見える應援團が抵抗勢力だって……?
「47代と無駄に長く続いた既得権益にすがるが如き集団を一朝一夕で崩すことは容易ではない。流石の倉田さんでも一代でその牙城を崩すことは叶わなかった。
 しかし、ご安心ください! 倉田さんが為し得なかった改革は、この久瀬政行が全身全霊を込めて引継ぎ、必ずや完全な改革を成し遂げて見せますよ! 中学卒業式の時に交わした、あなたとの約束に従って!!」
「あの、久瀬さん、あの時の約束は……」
「では僕はこれから生徒総会の準備に取り掛からなければならないので、これで失礼します。今日の生徒総会楽しみにしていてください。必ずやあなたが倒し得なかった應援團を排除し、完全なる改革を成就してみせます!!」
 佐祐理さんが久瀬に対して何か言いたげだったが、久瀬は佐祐理さんの言葉を聞かずにそのまま過ぎ去っていった。
「佐祐理さん、本当に久瀬が言ったことを自分の口で語ったのですか?」
 久瀬が高らかに称賛した、中学時代の佐祐理の言葉。その言葉が今の佐祐理さんのイメージとあまりにかけ離れたものだったので、本当に佐祐理さんが言ったのだろうか、久瀬の捏造なのではないかと疑い、俺は佐祐理さんに真意を問うた。
「はい、事実です……。久瀬さんが仰ったことは、間違いなく過去に佐祐理が語ったことです……」
 その時、いつも笑顔を絶やさぬ佐祐理さんが暗い顔を落とした。
「佐祐理さん、どうかしたんですか?」
「いえ……何でもありません……ただ、認めたくないものですね、自分自身の若さ故の過ちというものは……。なんちゃって〜〜」
「はぁっ!?」
 暗い顔をしていたかと思ったら、いきなり佐祐理さんが笑顔でシャアの名台詞を語ったことに、俺は拍子抜けしてしまった。
「あははーっ! では、祐一さん、今日はこの辺りで〜〜。舞のことは佐祐理に任せてください。それではーーっ!」
 そう言い、佐祐理さんは教室棟の方に姿を消していった。
「佐祐理さん、無理してるな……」
 突然シャアの台詞を語った佐祐理さん。それは触れられたくない過去を必死で押し隠そうとする動作のように俺には見えた。それ程までに“雪の女王クイーン・オブ・スノー”と呼ばれし過去の自分は、顧みたくないものなのだろうか?



 佐祐理さんと別れた後、俺は残された昼休み時間をげんしけんで過ごそうと、文化部長屋に赴いた。
「なんだ祐一、ちょっとって言ってた割にはずいぶん時間がかかったな?」
 げんしけんに入ると、現在進行形で昼食を取ってる潤が声をかけて来た。
「いや、すぐに終わると思ったんだけど、色々あって時間がかかってしまってな」
「そうか。悪りぃな、お前が来るのがあんまし遅いから先に食い始めてたぜ」
「いや、別に構わないよ。とっくに取ったし」
「はぁ? 用を足すのに時間がかかったのに昼食を取る時間はあったってのか?」
「あっ、いや、その……」
 潤に疑問を投げかけられ、俺は答えに困った。実は女性二人と一緒に昼食を取ってましたなんて、この状況じゃ口が裂けても言えない。 「実はその、知ってる人に声をかけられて昼食に誘われて、その人と一緒に昼食を取ったんだ」
 俺は仕方なく、事実関係のみを語った。実際は色々と複雑な要因が絡んでいるのだが、昼食に誘ったのは佐祐理さんだし、嘘をついていることにはならないと思う。
「ほぉう、転校してまだ二日目だって言うのに、もうオレ等以外に誘われて昼食を取るくらい仲のいいダチが出来たってか!?」
「ぐ、そ、それは……」
 確かに、昨日の昼休みに放課後と、大方の時間はげんしけんで過ごした。このような状況の中で、他のところに昼食を取るほど仲のいい友達ができたというのも不自然な話だ。俺は言い逃れをしようと下手な言い訳をし、見事墓穴を掘ってしまった。
「潤、それ以上祐一君を追及するのは酷というものだ」
 そんな時、副團が間に入り込んで来た。
「けどよ、副團」
「いいかい潤? 誰にだって公にはしたくない人間関係はあるものさ。特にウホッ! な関係は世間体が危ういからね」
「ゲッ、ひょっとして一緒に昼食取った相手ってウホッ! な関係の人なのか!?」
 副團がウホッ! と言った瞬間、潤が急に狼狽し始めた。
「ああ! 副團の言う通りウホッ! な人と昼食取ってたんだ!!」
 ウホッ! が何を表しているかは知らないけど、これは好機と思い、俺は副團のフォロー? に従った。
「そ、そうか……。すまんな祐一、事情を聞こうとして……」
 そして、潤はそれ以上追求して来なかった。どうやら副團の言葉を借りて正解だったようである。
「援護射撃してくれてどうもありがとうございます、副團」
 俺はとりあえずフォローしてくれた副團に軽く礼を言った。
「いやなに、人の恋愛というものは未知数だからね。例え君がウホッ! な人間だったとしても、僕は軽蔑したりしないよ」
「??」
 恋愛は未知数? 軽蔑したりしない……? 一体ウホッ! ってどんな意味なんだ?
「あの〜〜。ところで『ウホッ!』って、どんな意味なんです……?」
 俺はウホッ! の意味が気になり、副團に訊ねてみた。
「ああ、それはこれだよ」
 そう言い、副團は一冊の雑誌を俺に渡した。
「あっ、どうもありがと……げぇっ!?」
 俺は副團から渡された雑誌を手に取った瞬間、頭が真っ白になった。副團が渡した雑誌は『薔薇族』という、早い話ホモ専用のエロ雑誌だった……。ひょっとして俺、トンデモない発言してしまったんじゃないかと、妙な汗をかき始めた。
「その中に『くそみそテクニック』という漫画があるのだが、読 ん で み な い か?」
「あ、ああ……」
 副團に言われるがままにホモ雑誌のページをめくる。すると、めくったページの先に『くそみそテクニック』という漫画が掲載されていた。
 恐る恐るページをめくる。その漫画を簡単に要約すれば、男の人に興味がある主人公が、ハッテン場として有名な公園で出会ったいい男! と性向に耽るというストーリーだ。
 男性同性愛物としては“ヤオイ”というジャンルがあるが、それとはまた一線を化したえらくカオスな漫画だった。漫画自体はギャグ漫画と認識すれば十分笑えるものだった。しかし、会話の流れから俺はこの漫画をギャグではなく性的なものを求めて読み耽る変態として誤解されてしまっている。この状況下は決して笑えない。
 なお、ウホッ! とは、作中でいい男! を見かけた主人公が呟いた台詞だ。その独特のオーラを放つ台詞回しから、恐らくホモの隠語としてみんなは使っているんだろう。
「おいおい……祐一の奴真剣なカオで読み耽ってるぜ……」
「ああ、間違いなく祐一君はウホッ! な人間のようだ」
「げっ! ひょっとして今までオレ等のこといやらしい目で見ていたのか!?」
「ち、違う! 俺は決してウホッ! な人間じゃない! その証拠にさっきまで昼食を取ってた人間は女の人で……!!」
 このままでは完全にウホッ! のレッテルを貼られてしまう。そう危惧した俺は、思わず本当のことを言おうとした。
「ふっ、ようやく本音を吐き出してくれたようだね、祐一君」
「えっ……!?」
「さっすが副團の誘導尋問は相変わらず見事だぜ!」
 しまった! 今のは副團の罠だったのか!? 俺にあらぬ疑いをかけて本音を聞き出そうと仕組んでいたのか。俺はてっきり副團が助けてくれたとばかり思っていたが、それは完全なる思い違いだったのか……。
「おうおう! 一体誰と一緒にメシ食ってたんだ、祐一ぃ! 正直に吐かねぇと、お前がウホッ! な人間だってウワサ、学校中にバラまくぞ!!」
「くうっ……。じ、実は三年生の佐祐理さんと一緒に昼食を取っていたんだ」
 この展開では言い逃れ不可能だ。そう思った俺は観念してとうとう本当のことを漏らした。
「何ぃ! 祐一テメェ、鋳造の皇女カイザーリン・フォン・グスとご一緒に会食をしただと!?」
鋳造の皇女カイザーリン・フォン・グス? 雪の女王クイーン・オブ・スノーじゃないのか?」
 佐祐理さんは自分で人気者みたいなものだと言っていたし、中学時代は女王と呼ばれていたという話もであった。そんな人と一緒に昼食を取ったなんてことが露見したら、潤達から何かしらの恨みを買われるんじゃないかと思って黙ってたけど、潤の反応は俺の予想通りだった。
 けど気になる。確か久瀬は佐祐理さんのことを雪の女王クイーン・オブ・スノーと言っていたが、潤は鋳造の皇女カイザーリン・フォン・グスだと言う。一体どっちが正しい二つ名なのだろう。
「ああ。雪の女王クイーン・オブ・スノーって言うのはあくまで中学時代の倉田先輩の異名であって、高校時代からは鋳造の皇女カイザーリン・フォン・グスって呼ばれるようになったんだ。言わばゼクス=マーキスが、“ライトニング・バロン”から“ライトニング・カウント”に変わったようなものさ」
「成程。けど、どうして変わったんだ?」
「水中出身者の話によれば、それは倉田先輩その者が別人みたいに変わったからだとよ」
「別人みたいに変わった?」
「ああ。聞いた話では雪の女王クイーン・オブ・スノーってのは尊称ではなかったらしい。倉田先輩のあまりに人の心を考えない冷徹な施策の数々に、まるで心を雪に閉ざした冷酷な女王だという、佐祐理さんの独裁者振りを皮肉った二つ名って話だ。
 けど、高校に入り生徒会長になった倉田先輩は違った。中学時代とは対照的に人々の心をちゃんと考慮して数々の施策を講ずる人間へと変化した。
 その変化の有様を、中学時代の先輩を知る人間は女王のお心を閉ざしていた氷は融解し、女王陛下は優しき本来のお心を取り戻したと称賛した。
 そしてその雪解けと、まるで硬い鉄を熱き熱で溶かし新たなものを鋳造するかのような姿を、神奈羽町の特産物である南部鉄器とかけて、“鋳造の皇女カイザーリン・フォン・グス”と、尊敬の念を込めてお呼びするようになったんだ。
 昔は誰も倉田先輩に声をかけずに裏では愚痴ってたのが、今じゃ誰もが倉田先輩を称賛して止まないんだよ」
 成程。だからあんな人目につかない屋上への踊り場で昼食を取っていたのか。昼食中に自分を称賛する人間が集まってくれば他の生徒に迷惑がかかる、そんな心遣いから。
 けど、まるで別人のように明るくなったって、佐祐理さん本来の心が温かく優しさに満ち溢れたものだったとしたら、なんで中学時代は心を氷に閉ざしていたのだろう? そして一体どんなきっかけで、その氷を溶かしたのだろうか……?

…第壱拾七話完


※後書き

 え〜〜、昼食取り終わってからの残りの昼休み時間なので、時間にして20分前後くらいですかね。たった20分描くのに一話使っちゃうなんて、展開遅過ぎですね(笑)。まあ、スポーツ漫画とかですと一球投げるのに一話消費したりしますので、それと比較すればまだ早いですが。
 さて、「Kanon傳」からの変更と言えば、ストーリをほぼ書き下ろした他に一番の変更点は、佐祐理さんと久瀬の関係ですね。「Kanon傳」ですとこの2人はあんまり繋がりがなく対立関係にあるという感じなのですが、改訂版では久瀬は佐祐理さんを妄信している人間となりました。この辺りの人間関係は後々の響くと思います。
 それと、後半唐突に出てきたくそみそネタですが、この当時ってまだメジャーなネタではないのですよね。ただ、調べてみたところ80年代に『薔薇族』という本で連載されていたという話でしたので、漫画自体は存在していたなと。
 基本的にこのSSは1999年の1〜3月辺りがベースなので、それ以後のネタは時系列的に使えないのですよね。ただ存在しているものなら例えメジャーでなくとも話題に出来ないことはないなと、無理矢理ネタにしてみました。どういう系列で副團長がヤマジュンの本を手に入れたかは、時間があれば書きたいと思います。
 しかし、今回は生徒総会の話をしようと思っていたのですが、時間がなかったですね。そういうわけで、次回は生徒総会が中心になりそうですね。

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